四狭間 かなた (しさま かなた)
略歴
1973年 神奈川県で生まれ栃木県佐野市で育つ
1995年 筑波大学(自然学類)修了
1995年 同大学比較文化学類に再入学
在学中に青磁作家・小野卓氏に出会い師事する
1997年 比較文化学類修了
1998年 茨城県工業技術センター窯業指導所ロクロ科修了
以降、佐野に戻り築窯、佐野市内の土石のみを用いての作陶を続ける。
栃木県、群馬県などの各地で個展やグループ展多数
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一ヶ所焼き(佐野)とは、これまで焼き物を作りながら、あたため、そして実践してきた作陶スタイルです。
一言でいうと
どこか一ヶ所を定めて、そこの中の材料だけで焼き物をつくる。
という試みです。
「一ヶ所」と言っても、その範囲は自分で決めます。
自分の工房から3キロ以内とか、ある特定の山だけとか、材料を歩いて運んで来られる範囲だけとか、人それぞれでしょう。
僕の場合は佐野市の中だけと決めているので、一ヶ所焼き(佐野)となるわけです。
「材料」とはもちろん
・焼き物のボディをつくる土(粘土類)
・釉薬をかけるのであればその原料となる土や石や灰など
を指し、それらのものを全て自分で決めた範囲内「一ヶ所」で調達するのです。
そして、形作ったものを焼き上げる窯ですが
これも既製の窯や、既製の耐火煉瓦を組んでつくった窯を用いるのではなく、やはり同じ山の土を突き固めて作った窯を使っています。
形式としてはいわゆる穴窯で、幸いなことにやはり近隣の山から調達する薪で焚いています。
イメージとしては昔の郷土料理。
流通や交通手段が発達していなかった頃、必然的にその土地で採れる素材だけで、工夫をこらして作り出された料理。
風土そのものといった料理。
そういったやきものを目指しています。
佐野に戻った当初から取り組んだ一ヶ所焼き(佐野)。
一つ大きな問題がありました。
作品をつくる素材は地域内で調達するとしても、それを焼く窯はどうするのか?
一般的には、
・メーカーの製造した既製の窯を買う。
・もしくは自分で作るにしても耐火レンガを買ってそれを組み上げて作る。
といった方法があります。
しかし、すべてを土地のものでまかないたい、ものづくりにおいて「買う」という行為を排したいとの思いから、それらの方法には納得がいきませんでした。
「それなら土で窯を作ればいい」
そう教えてくださったのは陶芸研究者・芳村俊一さんでした。
1999年くらいのことだったと思います。
そもそも
「日本全国どこの窯場でも江戸時代以前は、その土地その土地の土や石を使って窯を作っていたのだから」と。
実際に芳村さんも土でできた窯を使っていらっしゃるとのこと、
いてもたってもいられず伊豆の芳村さん宅を訪れ、その窯を見せていただきました。
「かっこいいッ!」
窯そのものを「かっこいい」と思ったのは初めてでした。
使い込まれて焼き物のようになった内壁
レンガではなく大量の土を固め、それを焼いたわけですから、まさに大きな一つの焼き物なのです
実を言うと同じ頃、芳村さんと同じような助言をしてくれた方がもう一人いらっしゃいました。
近所のお年寄りです。
「昔ここらで炭を焼いていた頃、窯は山の土で作っていたんだから」
というわけです。
かつて「炭作り」はこの地域の重要な副業だったとのこと。
炭焼きのプロがたくさんいるんだからと教えてくれました。
伊豆から戻った僕はそのお年寄りが見守る中、さっそく山の土で窯を作ったのでした。
それ以降、十基以上窯を作っていますが、すべて山土を付き固めて作った土の窯なのです。
野山で原料を採ったり、土や石を砕いたり、自作のろくろをまわしたり、土で窯を作ったり、伐った木を運んだり、窯に器を詰め込んだり、焼いたり、・・・・
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